古地図にみるすみよしー堺は住吉大社の御料地でした

先日、住吉大社で「古地図に見るすみよし」と題して、住吉周辺の大阪の歴史を古地図を見ながら振り返るという講演会がありましたので、行ってまいりました。定員300名ということでしたが満杯で、地域に住む方の自分の町の成り立ちを知りたいという熱気が感じられました。

この講演会は民間有志の歴史愛好家の集まりである「すみ文講座」主催のもので、考古学や歴史学、都市学に詳しい先生方3名によって、それぞれ時代を区分をしながら講演されておりました。

住吉の古代の読み方は「すみのえ」でした。古代、大阪は今のような埋め立て地もなく、大阪湾はかなり内陸までくいこんだ入り江となっていました。なので大阪湾に面する一帯を「すみのえ」と呼んだのです。

古事記や万葉集では「墨吉」「墨江」「須美之江」などという当て字もされていましたが、時代を経るにつれ平安時代には「すみよし」になっていったといいます。

今でも大阪には島にちなんだ地名がいくつも残っていますよね。”福島”などはそうです。また橋のついた地名となると本当にたくさんあります。心斎橋、京橋、肥後橋、淀屋橋、天満橋、汐見橋などなど。大阪が水の都と呼ばれる理由の一端が垣間見えますね。

興味深かったのは堺は住吉大社の御料地で、今のように町の中心が大和側以南の堺ではなく、住吉周辺だったということです。住吉大社の領地はとても広く、住吉大社自身も現在の敷地のほぼ10倍程度の面積を誇っていたそうです。今でも広いですので、相当なものだと実感できます。

住吉大社と四天王寺はともに熊野街道沿いにあるのですが、古代からライバル関係にあり、ちょうど中間地点にあたる阿倍野の所領を巡ってしばしば対立していたようです。

住吉と堺を結ぶ阪堺電車は、紀州街道の上を通っています。阪堺電車に乗れば、昔の街道を歩いていることになりますのでロマンがありますね。紀州街道は和歌山から堺を通って、大阪の高麗橋までつながる街道です。

今はNHKで土曜日に放送されている「ブラタモリ」でも、タモリさんが古地図好きということも相まって自分の郷土や地名がどのような関係で成り立っているのかを理解するのにとても勉強になり、人気ですよね。最初に登壇された大阪文化財研究所の積山洋さんは、そのブラタモリで大阪編をやった時に紹介人となっていた方です。

日本には古来からある神社仏閣が点在していることもあって、またその神社仏閣が伝来の書物や記録を保存する図書館の役目を果たしてきたこともあり、世界でももっとも歴史的資料が残っている国だといわれています。

古地図を見ながら、街を散策すると、住み慣れた街でも新鮮に思えてくると思います。3月に入りいよいよ春の温かさを感じられるようになってきたので、ぜひ健康にもよいので散歩に出かけてほしいと思います。

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